• 2016年12月9日

    平成28年第16回「帯にまつわる話」エッセイ入賞作品

    先日、弊社にて第16回「帯にまつわる話」エッセイコンテストの表彰式を行いました。

    たくさんのご応募をいただいた中から見事入選されました皆様の作品をご披露させていただきます。

     

     

      

    『さかさまの鳳凰』

     

    DSC02019 HP

    神奈川県

    座間 舞子 様

     

     鳳凰が真っ逆さまに優雅な羽を広げていた。

     

      弟の嫁はバリバリのキャリアウーマンで嫁いでくるまで七五三と成人式以外には着物を着た経験がない現代っ子だった。若い感覚の二人はすべて自分たちで決め結婚式に関しても親に一切の相談はせず、厳格な母は顔合わせの時からその結婚に不機嫌だった。

     

     このお席の装いはどのように、と着物や帯の取り合わせを相談しに来る若い嫁に頼られる姑になることを母は夢見ていたのだろう。万事をすっすと動かす指先のスマホで済ませて涼しい顔をしている嫁を苦々しく思う心中が娘の私には手に取るようにわかる。

     

     何をしてやってもお礼状のひとつも届かない、着るものがなかったら困るだろうと、背が高いから仕立て直して一式揃えてあげてもメールがたったの3行よ!実家で母のまくしたてる苦言に耳を傾け落ち着いたら帰るというのは私の役割、当の二人は面倒になったのか実家に距離をおくようになり何かあるたびに家族で集まる我が家の風習は数年間失われていた。

     

     父の喜寿のお祝いをすることになり、お忙しいでしょうから無理にいらしてくださらなくって結構ですけれど家族ですからお知らせだけ、と電話しておいたわ、という母の口調には諦めと寂しさが滲んでいた。

     

     当日、弟嫁が着てきたものは手足の長い彼女用に母が仕立て直した曙色の無地の一つ紋で、その胴に巻かれていたのは数年前に他界した父方の祖母の形見分けで彼女にわたった、上品な鳳凰が織り出された家族の誰もが目にしたことのある、若き日の祖母や叔母のお気に入りの一本だった。母は朝から唇を引き結んでいた。二人が父にお祝いの言葉を述べ背中を向けて席に着こうとしたときに見えたのは嫁のお太鼓に、見事に下降する鳳凰の姿だった。両親は目をまん丸に見開いて、そして父が呵々大笑した。一座の緊張は和やかに緩んだ。

     

     『え?え?you tube 見て頑張ったんですけど、なんかすみません!変だったですか、どうしよう、ごめんなさい!』優しい空気の中で共にあたふたとする嫁と弟はとても可愛らしく微笑ましかった。

     

     ひとしきり笑ったあとの母の眉間は和らぎ今までの険は消えていた。

     

    『・・・。夫のために、今日のために頑張ってくれてありがとうね。』

     

     

     

    『帯の音から感じる最期』

    滋賀県

     雪村 あかり 様

     

      シュッ音が聞こえてきた。夏になるとおばあちゃんが着物で出かける日がある。薄いピンクの着物と白い日傘を持って、真夏の昼に出向く。この日が一年で一番、心臓の鼓動を強く感じる日だ。普段のおばあちゃんは畑仕事をするので、いつも汚れてもいい楽な服を着ている。でも今日だけは着物を着て出かけて行く。8月26日、おじいちゃんの命日だ。おばあちゃん以外の家族がこの日、お墓に行くことはない。

     

     私がまだ小学生の頃におじいちゃんは亡くなった。お墓に入るまで、おばあちゃんはおじいちゃんのそばを離れなかった。みんなには隠しているつもりだろうけど、目が腫れているのを見て、相当泣いたんだと思う。無理やり笑顔を作っている姿をよく見た。それを見かねて命日は、おじいちゃんとおばあちゃんだけが過ごせるように、心がける。

     

     温度が高すぎる夏の昼を選ぶ理由はおじいちゃんが亡くなる前に一番よく過ごした時間だから。この日だけ着物を着ていくのはおじいちゃんにきれいな姿で会いたいから。お墓に行くだけで熱射病や体調不良を心配するが、この日だけは見逃すしかない。水分を出来るだけ持たせて、タクシーを呼んでおじいちゃんの所へ送る。お父さんは変装してお墓に近いところから見守っているらしいけど。この日だけ私達はお墓に行く事はない。おばあちゃんがおじいちゃんと過ごせるように。人目を気にせずに沢山泣けるように。それぞれが遠い影から見守る。送り出す時にこの瞬間がおばあちゃんの元気な姿を見る、最期の日になるのかもしれないと鼓動が早まる。

     

     今年も帯を結ぶ音が聞こえてきた。年々老いていくおばあちゃんが無理をして暑い日に外に出て欲しくない。だけどおじいちゃんと時間を過ごしてほしい。なんともいえない感情が私の目を曇らせる。それでも出来ることはおばあちゃんを見送ることだけ。帯の音は今年も心臓を突き動かす。

     

     

     

     

    『確かな繋がり』

    東京都

    小川 元志 様

     

     母は茨城の片田舎で母の祖父母に育てられた。実父母の顔は見たことがないという。

     

    「実母」は出征直前に「実夫」と祝言を挙げ、間もなく母を儲けるが、「実父」戦死の連絡を受け、程なくして第三者と再婚させられたのだという。結果、生後間もない母は祖父母が預かる格好となった。

     

      ある日、茨城の親戚筋から、母宛に一本の電話が入った。

     

    母の産みの親である「実母」が余命幾許かの状態で、最後に一目母に逢いたいと伝えてほしい、との危急の連絡だった。

     

    夫に先立たれ、我が子を手放し再婚した「実母」の気持ちを、母がどの程度理解していたかは定かではない。しかし、母は再三の帰郷要請を頑なに断り続けた。

     

    「理由はどうあれ、親子の繋がりが実感できない」というのが一番の理由だった。

     

     しばらくして、親戚筋から母宛に小包が送られてきた。

     

    小包には「実母」逝去の旨をしたためた文書とともに、一本の着物の帯と、母と思しき女児を抱いた「実母」らしき着物の女性が写し出された白黒写真が同封されていた。

     

    お宮参りだろうか。写真には「実母」らしき女性が締めている帯が、同封の代物のようだった。おそらく、母の誕生にあたりお宮参り用の着物と帯を誂えたものなのであろう。「名古屋帯ね。金糸が入っているわ」と母がつぶやく。

     

      正直、紫がかった帯はひどく地味に見えた。が、当時物資が不足している中、金糸混じりの帯はきっと貴重品であったはずだ。豪華なものではないが、きちんとした肌触りで、何より長年大事に折り畳まれていたようだった。

     

    光の加減か、不意に白黒写真の中で「実母」の腰元の帯がキラリと光った気がした。頬を伝い一筋の涙が帯に落ちる。それは確かに母と「実母」とを繋ぐ絆だった。

     

    「繫がりは、ここにあったわ」

     

      結婚して7年。長い不妊治療期間を経て、母に孫を抱かせることが出来た。

    そのお宮参りの日、着物を纏う母の腰元には、名古屋帯が締められていた。

    それは、次世代に継がれていくべき、一本の確かな繫がりであった。

     

     

     

     

    『みんさー織りの帯』

    福岡県

    .. 様

     

     「この帯はね、いつ(五つ)の世(四つ)までも末永くと女の人が男の人を思って織った柄なんよ」と母が教えてくれた。

     

    まだ、私が十歳位の頃だったように思う。

     

    その時は、みんさー織りという井桁(いげた)模様が並んでいるだけの帯があまりきれいだとは思えず、「へぇ~」と頷くだけだった。

     

     私の父は鋸(のこ)の目立て(めたて)という仕事の職人で、鋸の小さい刃を、ヤスリで一つ一つ擦って砥いでいく。何度も叩いて、刃の角度を調節する。

     

    一本の鋸を仕上げるのに、二時間はかかっていたように思う。

     

    クーラーなど無い昭和の時代。

     

    汗だくで働く父のため、母は日に何度も冷凍室で凍らせたオシボリを運んだ。

     

     大食漢だった父の三度の食事の世話に追われ、いつも割烹着。

     

    私の記憶の中の母は、台所の湯気の向こうにいる後ろ姿だ。

     

     そんな母が月に一度「組合の寄り合い」に夫婦で出かける時は、別人のようにお化粧をしてこの帯を締めた。

     

    大島風の渋い色の着物にエンジ色のみんさー織りの帯。

     

    母の白い顔が際立って、なまめかしく美しかった。

     

    父はお酒が大好きで、ある酒量を超えると今ではドラマでしかお目にかからない光景だが、卓袱台をひっくり返すこともしばしば・・・・苦労が多かったはずなのに、母はいつも陽気で家の中は笑いで溢れていた。

     

     戦争中に大恋愛で結ばれた父と母

     

    後年、父は「こげんな娘(母)が俺の嫁さんになってくれたらよかとに・・・と思っとったけど、まさか来てくれるとは思わんやった!よう来てくれたなぁ~」と言っていた。

     

    サイパンで母は許嫁(いいなづけ)を亡くしたということを聞いたのもこの頃。気落ちした母を支えたのは父の愛だったのだろう。

     

    私が嫁いだ後も、父の仕事が暇な時は、母の手作り弁当を持って近所の河原へピクニックに行っていた。小柄な二人が並んで歩く姿が浮かび、ほんのり温かい気持ちになった。

     

    あれから30年・・・

     

    私たちも娘二人を嫁がせて二人暮らしになった。

     

    夫が「あんたとこの両親みたいにピクニックに行こうか」つぶやく。

     

    もう二人には会えないが、みんさー織りの帯をたまに締めて出かけたくなる。

     

    そっと目をつぶると、「いつの世までも」一緒に歩く父と母の姿が見えるような気がした。

     

     

     

     

    『ロイアルアスコットデビュー』

    東京都

    原 祐子 様

     

     「髪飾りは?髪飾りか帽子の着用がなくては入場できませんよ」

     

    「え?そんな、話が違うじゃない。ここまで来て入れないの?はるばる日本から来たのよ」

     

    2014年6月、世界で最も華やかな競馬の祭典、ロイヤルアスコット観戦に来た私は、イギリス、アスコット競馬場の正門前で、服装チェックの検問にひっかかり途方に暮れていた。今日は心配していた帯結びもうまくいった。「帯がうまく結べた日にはいい事が起きる!」という私のジンクスは一体どうなったの。

     

     英国王室主催のロイヤルアスコットには一般席にも厳しいドレスコードがあり、女性は帽子か髪飾りの着用が必須。しかし、各国の民族衣装ならその必要はないという。それがわかった時、私は迷わず決めた。だったら、着物にしよう!

     

     問題はどの着物にするかということ。何せ海外初デビューの着物である。長い長い思案の末に選んだのは、色とりどりの四季の花を描いた朱色地の着物。年齢と共に派手すぎて着る機会が減ってきたものの、海外の華やかなシーンには一番ふさわしいはずだ。合せる帯は、銀糸で文様を表した名古屋帯。母からもらった古い帯だが、派手目の色合いをきりっと締める洒落た逸品だ。何度もの試行錯誤の上に決めた着物と帯。

     

     そんな苦労も知らずに、入場させないなんて!と憤慨していると、事態を察したらしいベテランの女性係員がやってきた。

     

    「マダム、大変失礼いたしました。もちろん、髪飾りも帽子も必要ありません」とまずは丁重に謝ってくれたうえで、こう言ってくれた。「それにしても素晴らしい装いですね。まさにジャパンビューティ!今日の舞台にぴったりですよ。着物を持ってくるのも着るのも大変だったでしょうに、ありがとうございます」ああ、よかった!わかってくれる人はいるのだ。

     

     その日は、何故かしら馬券も面白いように当たった。「帯がうまく結べた日にはいい事が起きる!」どうやらこのジンクスは海外でも神通力を失っていないようである。

     

     

     

     

    『憧れ』

    石川県

    原田 優美子 様

     

    今も目に焼き付いて離れないのは、黒地に金の豪奢な模様の帯で、姉が成人式に締めたものだ。

     

     五つ違いの私は、成人式には自分もあの帯を締めるのだとうっとりと見つめていた。しかし、私はその帯をしめることはできなかった。なぜなら早々と姉が嫁いでしまい、婚礼道具とともに婚家へ持参してからは、おいそれと借りることとてままならず、気付けばあれから20年以上が過ぎた。

     

     私も姉も近頃ようやくゆっくりと話す時間が持てるようになり、ふと思い出して「ねえ、あの帯どうした?」と聞くと、姉はピンときたらしく「今度持ってきてあげるから、あててみたら?」とのこと。後日、実家で姉と二人、過ぎた年月を感じるたとう紙を開いてみたところ、それとはうらはらに中からはあの日目にしたままの黒い艶やかな袋帯が現れた。衣桁にかけてよく見ると、模様は季節の花々を金糸で所狭しと細かく刺繍したもので、豪華ながら地色が黒いせいかどっしりと落ち着いていて、やはり心が吸い寄せられる美しさだった。

     

     「ほら早く!」と姉に言われるままあててみると、なんだかしっくりこない。あれ?こんな感じだったかな?確かにこの帯なんだけど・・・。まじまじ見つめるうちにふと姿見に映る姉の姿が目に入った。「あ。」思わず声を上げると「どうしたの?」と姉の不審そうな声。鏡に映る姉の顔立ちに、帯はなんともしっくり美しく映えるのであった。ふふふ。と笑い出すとともに、妙に納得する私。「ねえお姉ちゃんあててみてよ。」と頼むと不審がりながらあててみてくれた。二十歳のあの日の眩しいばかりの美しい姉がそこにいた。「私が憧れてたのは帯じゃなかったみたい。」と年甲斐もなく帯ごと姉に抱き着くと驚いた姉もそのうちおかしがって笑いだした。一本の帯があの頃の私たちのきらきらした日々を思い出させてくれた。そして残念ながら姉が私よりうんと美人なことも!

     

     

     

     

    『大人証明書』

    愛知県

    松井 優茉 様

     

     大人になりたくなかった。大人はきっと楽しくない。すれ違う大人達には笑顔がない。それに、自由もない。そうはなりたくない。

     

    「じゃあ、帯を締めますよ。」

     

     ある寒い日、私は祖母と成人式のための振袖を選びに近所の呉服屋を訪れた。着物を着付けてくれる笑顔の素敵なおば様と、着物を見立ててくれる粋なおじ様がそのお店の店主だ。おば様と祖母がお金の話をしている時、私はおじ様とたわいもない話をしていた。

     

    「成人式だね、もう君も二十歳か。」

     

    この呉服屋では、三歳と七歳の時にお世話になっていたから、親戚の次くらいには私の成長を見守ってくれていたおじ様。そう言ってくれた時、大人にはなりたくない、と答えた。おじ様はにっこり笑った。

     

    「大人になりたくないと思えれば立派な大人だ。自由がないと言うけれど、じゃあ君の自由って何かな。お母さんや先生の掌で生きるのが自由かな?そうじゃないだろう。大人は自分で考えて、自分で決めて、はじめて自由だとか、笑顔になれる素敵なことを見つけるんだ。今迄みたいに、人から与えられる物が自由だと思ってはいけない。僕が君に渡すこの帯は、君のための《大人証明書》だよ。」

     

     帯は飴色の地に、毬が描かれている。おじ様が私にぴったり合う、と選んでくれたものだ。私の振袖を締める帯、私の気を引き締める帯、私の心に、おじ様の言葉を締める帯。来年の一月、成人の日に猩々の振袖を、この帯が締める。その日、私はおじ様からの《大人証明書》を世に見せ、認証させるのだ。

     

     私は大人になる。これから何をするか、どうするかは、私の掌にある。右往左往して、辛くなることもあるだろう。大人は、難しくって大変な事が多いだろうけれど、修学旅行の前日のようなわくわくした気持ちになる。なあんだ、大人って楽しそうだ。おじ様、素敵な帯を選んでくれてありがとう。私、おじ様みたいな素敵な大人になりますね。

     

     

     

     

    『私とお直しおばさん』

    神奈川県

    村上 怜見 様 

     

     お直しおばさん・・・着付けのお直しを勝手にしてくださる年配のご婦人。自分が着物に精通している自負があり良かれと思ってやっているので厄介。絹の帯や着物であろうと手も洗わずに触ってくる他、彼女たちの爪によって帯に傷がつくことも。つまり、着物女子の(かたき)

     

     お直しおばさんへの一方的因縁の始まりは私が高校生の時にさかのぼる。

     

     着物で大阪城公園を観光中、一人のご婦人が背後から近づくと、いきなり私の帯を引っ張り、慣れた手つきで帯周りをまさぐりだした。私が、(ああぁ絹の帯揚げがあああぁぁさっきそこでパン食べてたやん!手でちぎってたやん!)とか(いやぁぁぁ私のお気に入りの帯があぁぁ二万!二万!っうかそのネイル!ストーンついとるうぅぅ!!!)などと内心パニックになっている内にお直しは終わったらしく、彼女はこれでええわと言い残して去っていった。

     

    死ぬ。怖かった。どっと押し寄せる疲労感。結局何も言えなかった私。そして何より、お気に入りの帯には彼女の指の跡が・・・合掌。

     

     初めての出会いは完全にトラウマになり、どこからでも湧いてくる(失礼)お直しおばさんに出会う度、いまだ恐怖に震えてしまう。

     

     でも、私は彼女たちのことを嫌いになりきれないんです。だって、彼女たちは自分の娘の帯を直してあげたかったのかなと思うから。一緒に着物で宝塚観劇とかしたかったのかなとも思うし。対峙してきたお直しおばさんたちは、みんな満足そうに去っていきました。

     

     そして私はお気に入りの数千円の帯をイライラ染み抜きしながら、お太鼓の締め方を教えてくれた母のことを思います。今何しとるんかな。実家に置いてきた帯どうなったんやろ、なんて。

     

     着物女子であり続ける限り、お直しおばさんと出会い続けることでしょう。そりゃあ、出会わない方がいいし、最近はべたべた触られると嫌みの一つや二つ言えるようにもなりました。

     

     現在、081引き分け。私はこれからもお直しおばさんと一方的に闘い続けることを宣言します。

     

     

     

     

    『寮管さんの掌』

     

     

     柳井 理沙 様

     

    今から八年前のことです。私は高校を卒業後、故郷を遠く離れ入社した企業の社員寮に住んでいました。入寮した直後から挨拶、服装、図書館の返却催促のハガキ、門限など本当に暮らしの小さなことを関西弁でぴしゃりと、ひっつめ髪の怖い顔で毎日注意してくる寮の管理人のおばさんの事が私は本当に苦手でした。ある冬の夜、成人式の話が友達との会話の隅にものぼる頃でした。最初から故郷ではなく会社で行ってくれる成人式に出るつもりでいた私は、美しい振り袖は眼中になく、当日はスーツを着るつもりでした。当時、同期より仕事の覚えが悪くて愛想もなかった私の振り袖姿なんて皆は笑うだけだろうと思ったからです。その夜、寮の和室には貸衣装屋さんとあの寮の管理人のおばさんと華やかな容姿の同期の女の子が居て、楽しそうに色とりどりの振り袖を畳に広げ選んでいました。おばさんに見つからないように自室へ向かおうとした私を同期とおばさんが呼び止めました。「理沙ちゃんにも似合うのがきっとあるよ。」おばさんが私を理沙ちゃんと呼んだことに驚きながら和室に向かうと、おばさんは、あれこれ着物を体に当てながら貸衣装やさんに言いました。「この子は本当にお人形さんみたいなかわいい顔でしょう、きっとその金色の華やかな帯じゃなきゃこの子に負けちゃう、きれいな着物を見つけてあげてください」試しに着付けた私を見て、おばさんはきれいねと笑って言って背中を叩きました。おばさんの掌のぬくもりと貸衣装さんがきつくしめた金の帯に瞼が熱くなりました。本当は知っていました。門限も私服のスカートの長さも同期から孤立してぽつりと一人で食べるご飯にも、何でもうるさかったおばさんが私の事を心配し何度も会社に相談していたこと。おばさんと選んだ着物と帯で参加した成人式は、参加していたベテランのパートさんにも「今年の新入社員で理沙ちゃんが一番きれい」と言ってもらえました。嬉しくて、おばさんにありがとうを伝えようと寮に駆けていくと、おばさんがなぜか寂しそうに笑っていました。「きれいやね。よかった。ほんまにあんたが心配やった。おばさんな、今月一杯でここ辞めるねん。」突然の報告に胸がきゅんと狭くなりました。おばさんと選んだ金色の帯が涙で溺れて見えました。いつも親より厳しくて、でも温かいおばさんの言葉は今も私の心に金色の帯を巻いてくれています。おばさん、ありがとう。

     

     

     

    『着物と帯とインターネット』

     

    DSC01959 HP

    大阪府

    田中 理佐 様

     

     離れて暮らしていた母が突然亡くなり、一人娘の私が実家の片付けに追われたのは二年前のことだ。母のタンスに遺されたのは洗い張りされた布地と色とりどりの帯たち。いつか着物に興味をもったらね、と言われたが、今まで関心を抱かなかった。さしあたって着物を着なければならない場面もない。まだ着物の形であればよかった。仕立て直すには知識もお金もいるのだ。必要でないものは処分するしかない。そう思っていたのだが、帯ひとつ手に取ってあててみたら、もういけなかった。これは母につながるものだ。そう思うと涙がこぼれ出た。手離したくない、と心が言った。

     

     知識はない。しかし呉服屋に持ち込むには敷居が高すぎる。私は思いついてネットのコミュニティで相談をしてみた。画像を載せ、正直な思いを綴った。反応は即座にあった。

     

     「お母様の着物を着たいと思われたことに何の説明もいりません。」「昔の絹は上質ですので是非仕立て直して着てみて下さい」

     

     それから何度もネット上で相談を重ねた末、とうとう私は、大島紬と鮫小紋を仕立て直した。帯合わせなどもわからないので、画像をあげて見立ててもらった。

     

     「右側の帯にこの帯締めはカジュアルすぎます」「帯あげは帯の中から一色もってきて」

     

     さまざまな意見を参考にして私はこの春、高校生になる娘の入学式に、着物姿で出席したのだった。

     

     当日着つけの先生に「古い帯ですので」とつい言いわけのように口にしたら、「使いこまれて締めやすいよい帯ですよ」とほめられてとてもうれしかった。自分ひとりではここまでできなかっただろう。ネットのお仲間には感謝の気持ちでいっぱいだ。

     

     後は、自分で帯が締められるようになればいいのだけれど。「練習すればできる」と励まされつつ、残念ながらまだそこまで到達できずにいる。

     

     

     

     

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