【江戸時代中期】

現在の京都御所(禁裏御所)の近くで、松屋儀兵衛が御所出入りを許された(禁裏御用達)「松屋」という呉服商を営んでいた。後に蛤御門の変で店舗を焼失。

【1907年(明治40年)】

松屋儀兵衛の息子、舞鶴正七が、新たに西陣の地に帯を中心とした絹織物製造の店「舞鶴正七商店」を創業。

【昭和・太平洋戦争】

戦争中、軍需産業に関係のない企業は、企業整備により廃業に追い込まれた時代に、西陣織の技術保存のために国より選ばれた数社の織屋の中の一社として、機音を絶やさずに織物業を続ける。(当時は、将校のコートやマフラーなどを織っていた。)

【1963年(昭和38年)】

新たなるものづくりへの挑戦をすべく、社名を「株式会社 西陣まいづる」に変更。

【1973年(昭和48年)】

手機の真髄を極めるために、美山町に手機工房を構えます。温かみのある手織の「美山織」は、現在もまいづるの人気商品として織り続けられている。

【平成】

西陣産地最大の品評会である西陣織大会において4年連続を含む8度、最高賞を受賞する。

【2007年(平成19年)】

創業100周年を迎える。
  • 江戸時代後期の文献
  • 創業当時の店舗
  • 美山手織工房の内部
  • 西陣織大会最高賞受賞賞柄
  • 金剛流能装束復元
  • 螺鈿四連作「日月飛翔図」