• 2014年9月17日

    2014年度 優秀賞受賞作品

    賞   『満員列車の中で―帯を』

    若林敏夫 (埼玉県    七十八歳)

     若林敏夫さま

     

     お袋は突然、帯を結び始めた。それも超満員列車の中であった―。

     時は六十八年前、終戦翌年の昭和二十一年は三月上旬だった。京都の女学校へ単身就学中の姉の卒業式に出席するため、お袋と共に乗り込んだ列車の中でのことである。

     列車には窓から乗った。今では想像もできないだろうが、到着した列車は超満員でデッキの扉が開かないのである。たまたま窓から降りた乗客がいて、私達母子はその窓から中の乗客に引き上げられるようにして乗車した。

     デッキには中に入れない人達がぶら下り、機関車の狭い後部にさえ乗り込んでいた。終戦直後の混乱そのままの状況であった。

     このため北陸線敦賀駅を出た大阪行の普通列車は遅れに輪を掛けて、すでに一時間半もの遅れとなっていた。

    ―卒業式に間に合うのだろうか―と心配した矢先だった。

     お袋は風呂敷包みを解き、中から帯一式を取り出した。上は和服に割烹着を羽織り、下はモンペ姿のお袋は割烹着を脱ぐと周囲へ「少々ごめんなさい」の言葉を発して帯を締め始めたのである。

     紐や帯の端を持たされて助手の格好となった当時十歳の私は、顔を赤くした。大衆の面前である。子供心にも恥しかった。周囲も好奇の目で眺めたのは当然であった。

     お袋はてきぱきと進めた。その手捌きの鮮やかなこと。見る間に二重の御太鼓結びが見事に完成した。最後に帯留めを締めて、お袋はポンと帯をたたいて周囲に会釈した。

     これには周りから感動の声がもれた。姿鏡も無い、手も十分に伸ばせないスシ詰め列車の中での見事な所作であった。

     京都駅のホームの物陰でモンペを脱いだお袋の和服姿は、雑踏の中での花に見えた。式に間に合わないとみての決断だったのである。

     遠い遠い昔の思い出ながら、私には忘れられない一駒である。中年女性の和服姿を見るたびに、和服の素晴しさと共に思い出している。

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