• 2012年7月13日

    2012年度 特選受賞作品 その8
    『帯が気づかせてくれたこと』
    H・Rさん(岡山県)
    「なにしてるの?」
    中学二年の秋。帰宅した私は、箪笥の前でごそごそしている母に訊ねた。
    「着物と帯の陰干しをしてるの。絹製品はまめに手入れしないとダメだから」
    「へぇ。けっこう面倒なんだね」
    着物や帯にさして興味がない私は、気のない感想をもらし、そのまま自分の部屋に行こうとしたが、母に呼び止められた。
    「あんたの帯も見てみる?大人になったら使うと思って、買ってあるんだけど」
    「え。どれ?」
    少しばかり興味をひかれた。けれど、あまり期待はしないほうがいいだろう。絹の着物や帯は驚くほど高価で、とても新品は買うことはできないと母は以前に言っていた。だから家にある着物や帯は、母がリサイクルショップで買ってきたものばかりだ。リサイクルショップにあるのは、誰かに「もういらない」と売られたものであるし、品ぞろえもよくないはずだから、あまり良いデザインではないだろう。そう思いつつ、母が箪笥から出してくれた帯を見て、
    「わあ、きれい!」
    思わず感嘆の声をあげた。
    淡い灰色の地に、青みがかった紫や、若葉のような緑、光沢のある白で、自然の風景が緻密に描かれ、そこに銀糸の鳥が舞い、薄紅色の花が咲いている。とても素敵な帯だった。
    「すごく綺麗。私の好みにぴったり」
    「やっぱりね。あんたが好きそうな色と柄だと思った」
    母が嬉しそうに言った。その言葉で、私はあることに気づき、さらに驚いた。私はこれまで着物や帯に興味がなく、それらを売る店に行ったこともなければ、色や好みについて母とじっくり話したことも無かった。それなのに、母が仕事で忙しい日々をおくりながらも、私の何気ない言葉のひとつひとつをしっかり聞いて、私のことを正確に理解してくれている、あるいは理解しようとしてくれている、ということではないだろうか。
    ―誰かに「もういらない」と売られた帯。けれど、さりげない幸せに気づかせてくれたその帯は、私にとって世界で一番の帯になった。
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