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2012年7月13日
2012年度 大賞受賞作品『胸の下で結ぶ「ふくら雀」』
紫藤 幹子(石川県)淡い藤色の中振袖に、金糸銀糸で蝶の刺繍がほどこされた光沢のある白地の帯。髪もきれいに結い上げて、普段はあまりしないお化粧もこの日はほんのり。ピンク系の口紅がかわいい。五年くらい前になるだろうか。当時借りていた集合住宅のオーナーの娘さんが、この日成人式を迎えた。朝から着付けや髪を整えるのに何人もの人が出入りしている。そしてようやく支度が終わり、この集合住宅のホールで記念撮影をすることになったのである。カメラマンは管理人の伝さん。写真の腕前はプロ並みで、バックに布を吊るしたり、傘のような道具を使って光の量を調整したりと本格的だ。家族や近所の人たちが見守るなか、オーナーの娘さんはちょっと緊張ぎみ。着物の裾や袖をなおしてもらって、少しはにかんでいる。「モデルさんみたいだ」と誰かがいった。胸の下で結んだ帯は「ふくら雀」。そう、彼女は帯を後ろではなく前で結んでいるのだ。車椅子に乗っているため、帯を後で結ぶと背もたれにじゃまになるのである。前で結んだ「ふくら雀」は新鮮で、華やかでとても素敵だ。それに何か堂々としている。前向きで明るい彼女によく似合う着付け方だ。フラッシュがたかれ、一枚二枚。カメラマンの伝さんは渾身のベストショットを狙うべくシャッターチャンスをさがしている。なかなか笑わない「モデルさん」の表情をやわらげようと冗談をいったりする。そして何発目かのギャグでついに「モデルさん」が笑った。花のような笑顔。伝さんはすかさずシャッターを切る。最高の一枚をものにして、敏腕カメラマンは満足げだ。花のような笑顔は見守るギャラリーにも波及する。「成人おめでとう!」誰からともなく拍手がおこった。女性らしく匂うようにふくらんだ胸の下で「ふくら雀」に結ばれた白地の帯は、窓から射す冬の弱い陽射しをやわらかくはねかえして、誇らしげにやさしい光を放っていた。