• 2011年7月8日

    2011年度 特選受賞作品 その8
    『西陣帯をお腹に巻いた母』
    吉川 貞司さん(福島県)
    今、こうしてなんの不自由もなく生活しているからだろうか、今になって終戦前後の頃の母を、思い出すことが多くなった。
    僕の家族は両親と子供四人、兄弟で男は僕一人。父は体が弱く姉二人の働きだけだったので、ヤミ米は買えず食糧不足は深刻だった。
    毎日の食事は、僅かな米と沢山の山菜を入れた雑炊を、母が丼に同じように分けてくれたのを食べていた。しかし旧制中学の四年生ぐらいだった僕は、満腹感がなくいつも不満を言いながら、この空腹に耐えていた。ある日の食事前に、母は模様入りの固そうな帯でお腹をきつく締めているの を見た。その日から母は、自分の分の雑炊を半分ぐらい、僕の丼に分け足してくれるようになったのである。
    帯を締めたのは満腹感を作るためだったとすぐにわかったが、僕は空腹が辛 いから当たりまえのように母から分けて貰っていた。姉たちは口々に「男だからと言って、特別扱いしないで」と不満を言っていたが、農業育ちの母は「男は腹の空き方が違うんだ」の一言を繰り返すだけだった。食事が済むと母は帯を丁寧にたたみ、両手で高く差し上げるようにしながら、また箪笥へしまうのである。
    戦後が遠のいて長女の嫁入りの時、母があの帯を箪笥から出し「これは西陣の帯だ、私がお嫁に来るとき、母が帯だけだが生活のたしにとくれたものだ。私はどんなに困ったときでも手放さなかった。今日、お前に渡すことが出来て嬉しいよ」といったのである。真新しいように、きちんとたたまれていた。
    西陣織といえば、京都の高級で精巧な絹織物だと僕も知っていたが、明日の命もわからぬ時代だったから、母はその帯を母親として自分の痩せた体をこの帯に託して、僕たちを守っていてくれたのである。
    八十路を迎えた今、改めて母の想いに感謝する日々である。
2011年7月
« 7月   7月 »
 12
3456789
10111213141516
17181920212223
24252627282930
31  

アーカイブ