• 2011年7月8日

    2011年度 特選受賞作品 その3
    『着たいと思ったときに』
    杉田 静さん(広島県)
    実家の母が倒れた。心筋梗塞だった。
    病院にかけつけた時は、車椅子に座り、父と一緒に医師の話を聞いている時だった。
    「お父さんをよろしくね」
    母は自分のことより、自宅で一人になる父のことを心配していた。私は医師の説明に集中できず、「こんなに白髪が多かったっけ」と、ぼんやりと母の事を考えていた。
    母から通帳の場所を伝えられ、入院費用や父の生活費のやりくりを頼まれた。
    実家にある大きな衣裳箪笥。言われた通りに開けると、上段に通帳やはんこなど大事なものが仕舞ってある。ふと奥を見ると見たことのない、桐の箱が何段か積んである。
    何だろうと、何の気なしに開けて見ると、きれいに畳まれた帯が出てきた。レンガ色の帯と渋い紫色の帯。柄はないのだが、深い色にしばらく見とれた。奥のほうにもまだ帯が大事に仕舞ってある。別の桐箱には丁寧に和紙に包まれた着物が数枚現れる。うちは決して裕福でもないし、ましてや着物を着て生活 することなどない。
    不思議に思いながら、勝手に袖を通して、お姫様気分を味わった。着付けもさっぱり分からないので、すぐさま元通りに畳み直して仕舞い込んだ。
    無事母の退院の目処がたった頃、母に聞いてみた。あの帯と着物は何なのか。
    「ありゃ、見つかったか。あれはあんたの帯と着物よ。」
    苦笑いする母。私はポカンとなった。帯と着物は、ずいぶんと昔に田舎で母が着ていたものだった。その帯と着物を、私のために店へ持っていって、裾直しや染み抜きなどを依頼し、新品同様に仕上げてもらったとのことだった。
    そういえば、成人式が近くなった頃、着物は着るのかと聞かれ、「友達と安 いレンタルを予約したわ。式の時しか着んし。」と返事をした。正月が近づい た時も、正月くらい着物を着ないのかときかれた。「ちっちゃい子供が二人もおるのに、そんなん着とられんよ。」そう答えると母は「そうかぁー。」とだけ返事をして、それ以来、特に帯やら着物やらの話をしたことはなかった。
    「あんたが着たいって思った時に、出してあげよう思うとったのに。」  少しやせた頬に手を置いてため息をつく母。
    決してうちは裕福ではない。私を育てながら、懸命にやりくりして貯めたお金で、新調してくれた帯と着物。それを考えると、思わず目頭が熱くなった。
    とりあえず、母が退院したら母に着付けを習おう。母が身に付けていた帯と着物を、今度は私が身に付けるのだ。久しぶりの着付けを、きっと、ああでもない、こうでもないと四苦八苦しながら私に教える母の姿を想像するだけで、私は胸が温かくなるのだった。
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