• 2010年7月9日

    2010年度 特選受賞作品 その2
    『花台(はなだい)の帯』
    池田 智子さん(神奈川県)
    「まあ! きれい!」
    昨年の春。焼津の宿で私の目にとび込んできたのは大壺にどっさりと活けられた山吹の花だ。黄金色の小さな花がつらなって咲くたくさんの枝がかろやかに広がり、生命(いのち)がほとばしるようなエネルギーに溢れていた。
    「朝、裏の山で採ってきましたの」
    和服が似合う女将(おかみ)がほほ笑んだ。私は山吹の花の前に立った。磨きぬかれた床に黄金色のシャワーが映っている。花に見とれていた私はふっと花台からはみ出て敷かれた細長い織物に視線を落とした。淡いピンク地に藍色の雲が流れ、紅の花が舞っている絵柄だ。よく見ると帯のようだった。
    「女将さん、この敷物は帯かしら?」
    すると、女将が織物の端を指先でそっとめくって見せた。
    「ええ。普段づかいの帯です。こんなになってしまいました」
    帯の裏側はすりきれて、芯地が見え隠れしている。
    「よく使いこんだ帯ですね」
    「これは曾祖母から祖母へ、祖母から母へ。そして母から私へと伝わった帯です。八十年以上になるかしら。とっても締めやすくて、どんな着物にもピタッとくるんです。でも、これでは使えません。だから、と、いって可哀想で捨てることもできずに箪笥にしまったままでした。花台の敷き物に何かないかと探しているとき、この帯を敷いてみました。どうですか?いい雰囲気でしょ。帯が花や壺を引きたて、ロビーの空気まで落ち着かせています。着物に締めたときと同じ役割りをしてくれる……そう思っています」
    宿で過ごす間に私は何度となく山吹の花の前を通った。入浴のとき、食事処へ向かうとき、海辺への散歩で出入りするとき。そのたびに足をとめた。花台に敷かれた帯には四人の女将の帯への愛着と物を大切にする姿勢が感じられた。和服に締められる本来の目的とは遠いところでも帯はしっかりと輝いていた。宿の四代・八十年の歴史と共に女将に愛された帯はこれからも宿を守る人と訪れる人のそばで生きていくことだろう。
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