• 2010年7月9日

    2010年度 優秀賞受賞作品
    『助六の帯』
    脇本 史代(東京都)
    秋の日。銀座、晴海通りで尾行を開始した。ターゲットは推定年齢六十歳、茶系の縞小紋に白地の帯を締めた女性である。
    おたいこの片隅に、蛇の目を手にした助六の姿が刺繍してある。反対側の隅にさらさらと長唄の文句が若草色の糸で刺繍してある。
    それを読みたくて尾行してしまったのだ。手に千疋屋の紙袋を下げている。
    その人はあたりの色彩を全てモノトーンに変え、一本の美しい刺繍糸になって晴海通りを左へ折れる。折れた瞬間、その人の着物の裾が翻り、裾まわしが助六の鉢巻きと同じ江戸紫であることに気付く。それが美しいぼかしになっている。
    私はなおも助六の後を追う。まるで揚巻みたいに。そう思って少しおかしくなる。あんな凄い帯を締めて助六の帯を追う自分の姿を想像したのだ。やがてその人は歌舞伎座の楽屋口へ入って行く。誰かが愛想良く迎えている。
    なるほど。おそらく役者のご贔屓筋か、身内なのだろう。
    そこで私の尾行も終了。どんな人だろうと想像しながらついて来たが、顔を見る必要などない。話をする必要もない。
    こんな着物、こんな帯で遊べるような人だもの。オシャレな人に決まっている。素敵な人に決まっている。
    シャネルマークより百倍もカッコイイ。の後なんて、尾行する気になれないもん。
    晴海通りの縫い目が魔法のように消えて、あたりの風景に色彩とざわめきが戻った。
    嬉しい気分で歌舞伎座の看板を見上げる。夜の部に、団十郎の助六がかかっていた。
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