• 2009年7月10日

    2009年度 特選受賞作品 その7
    『母の帯』
    花村悦子さん(福岡県)
    ここに一本の帯がある。亡母の帯だ。
    茶と浅黄色の二色だけを使った、ごくごく単純な市松模様型の織の帯だ。もう色も褪(あ)せ、両端は所々擦り切れている。お世辞にも上等の帯とは言い難い。何せ、大正、昭和、平成と生き延びてきた帯だ。だが、私にとって捨てる事が出来ない帯である。どんなに古くても、ぼろぼろになろうとも。
    母の四九日が過ぎた頃、姉と形見分けをした折、この帯が目に入った。他に立派な帯も多々あったのに、上等ではないこの帯が目に入ったのか。
    戦後の事だ。私の家は、「乾物屋」を営んでいた。両隣は魚屋さん、果物屋さん、その隣は夏はかき氷屋で冬は焼き芋屋、又その隣は駄菓子や、靴屋、金物屋、写真屋と同じ職種が重なる店は一軒もなく、びっしりと商店が軒を並べていた。元旦以外は休む店などなく、あの当時は、皆働いて生きていくのが一生懸命だったのだ。母もよく働いて外出する日は、一年に二、三回だった。たぶんお寺さんにお参りする日だったと思う。幼い私の手を引いた母は必ず着物で、必ずこの帯を締めていた。織りなので一年中締める事が出来たのだろう。
    私は三十歳を過ぎてから小料理屋を開いた。一年中を着物で通している。割烹着を付けるので、帯が少々痛んでいても気にかけない。
    ある日、余りにも母の帯が古くなったので、解(ほど)いて店のコースタにと思い起ち、“手”の所から解きだした。するとその中から、亡父の名刺が出て来たのだ。その時、母の心を見た。記憶の中の両親は、ちっとも仲が良かったとは思えないのだが――。
    名刺のみ取り出し、再び縫い綴じた。
    そして、今日もまたその帯を締めて私は店に出る。母にとって特別の思いがあったのであろう帯をーー。
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