帯にまつわるエッセイ大賞

  • 2017年8月3日

    平成29年第17回「帯にまつわる話」エッセイ入賞作品

    先日、弊社にて第17回「帯にまつわる話」エッセイコンテストの表彰式を行いました。

    たくさんのご応募をいただいた中から見事入選されました皆様の作品をご披露させていただきます。

     

      

        『おばあちゃんの里帰り』

    HP用

       熊本県

          感王寺 美智子 様

      昨年六月、父が逝った。新潟の古く広い実家には、年老いた母一人となった。近くに住む兄夫婦が、自分たちの家へ来るよう、言うのだが、母は、一向に、首を縦に振らない。

    「来年になれば、美智子が帰ってくるから」

     私は、復興支援職員の夫と共に、気仙沼で暮らしていた。あと約一年の任期を終えたら、新潟の実家で、母と暮らすつもりだった。しかし、今度は、熊本地震がきた。私と夫に「気仙沼で、一から関わった復興支援の経験を、熊本で役立てるべきではないだろうか」という思いが沸きあがった。そして、人生最後の使命として、熊本行きを決めた。しかし、仏壇の父に、線香をあげながら、ひとり、私が帰るのを心待ちにしている母に、なかなか、それを言い出せないでいた。やっと母に告げたのは、年も明けてからだった。

    「あと五年なんて、もう、生きてないわ」

     母は、駄々をこねる子供の様に、声を荒げ、涙を溜めた。

     その夜、母と並べた布団の枕元に、風呂敷包みが置かれていた。開くと、黒地に、鮮やかに宝船が刺繍された丸帯と、藍色の着物があった。それは、古いアルバムの中で見たことがある、祖母の帯と着物だ。横になっていた母が、背中を向けたまま、言った。

    「おばあさんを連れて行って。熊本に里帰りさせてあげてください。お願いします」母方の亡き祖母は、熊本の生まれだった。

     しかし、昭和二十八年の西日本大水害で、実家は流され、親兄弟四人、行方不明となった。祖母は、熊本まで探しに帰ったが、遺体さえ上がらなかった。それから、二度と、祖母は、熊本へ帰ることはなかったそうだ。

    「わかった。これを着て、おばあちゃんの通っていた女学校に行ってみるね」

     母の返事は、ない。

    「あ、でも、私は、丸帯は結べないから、お母さん、熊本まで、結びに来てよね」

     母の肩が、小刻みに震えた。

     

         『まるたけえびすに』

       大阪府

       大西 和美 様

      「まるたけえびすにおしおいけ…

     意味も分からずに覚える京都の町屋の子たち。私もその一人だった。

      老人の介護は嫁がやるのが当たり前だった時代、私の母も例外なく姑である祖母の介護をしなければならなかった。大人達の間でどのような会話が成されたかは分からないが、未就学児だった私は小学校の入学を前に、母方の伯父に預けられた。

     伯父は京都の西陣でひとり暮らし。朝は部屋の側にあった糸を巻き取る機械の音で目が覚める。様々な色の糸が大きな機械でからからと回る様を見ていると、近所の叔母に「ご飯持ってきたから顔を洗いなさい」と叱られる。坪庭に出て、手水鉢で顔と手を洗い、朝ご飯。力職機の音が始まると学校に行く。

      放課後は家で人形遊びをするのが好きだった。力職機にセットする糸巻きの芯の古びたものには、残り少ない絹糸がまだ巻かれている。それをもらい、顔を描けば、キレイな絹糸の着物を着たお人形ができあがる。金の色糸はお姫様、銀の色糸は王子様。伯父がミスをして出た西陣織の端切れはお城の絨毯になった。たまに伯父が部屋をのぞき、はい、と手渡された新しい糸巻き。それは城の兵隊になり、ばあやになり、悪い魔女になった。

      豆腐屋さんのラッパを追いかけたり、鰻の寝床の家の入り口から坪庭まで従姉妹と競争したり、地蔵盆の数珠回しでちょっとずるをしたり。そんな数年はあっという間に過ぎ、小学5年生の秋に祖母が亡くなった。

     両親の元に戻ることになった私に、伯父が「持って行け」と風呂敷包みを渡した。開くと、牡丹柄の金の袋帯が入っていた。

     「20歳になったらこれに合うた着物を作ったげるよって、大事にするんやで」

     「ほんま?うちな、ピンク色がええ!」

     伯父と指切りして、私は自分の家に戻った。

      それから伯父との交流は年一度程度。中学、高校になりその頻度はさらに減った。

     そして大学2年の春。伯父が逝った。心臓麻痺だった。

     葬儀が終わり、形見分けのときに桐のタンスの奥からたとう紙が出てきた。広げると仕立て上がったキレイな黒留め袖と私の名前が書いた紙があった。

      「おっちゃん、ピンクがええて言うたのに…

      それからもう25年。留め袖を着て、帯を締める時に浮かぶのは、あの家で過ごした日々だ。つたない手で顔を描いた人形は今も、我が家のタンスの上で私を見守っている。あのかりそめの父の代わりに。

     

      選 

          『帯を広げる』

      秋田県                                      

      M.K.様

      「この振袖はな、嫁入りする時にお祖母さんと近所の着物屋さんとで選らばはってん。『この帯とあわせたい』って私が言うたら、『若いのに粋な趣味やねえ』って笑われたわ」母が帯を広げると、今と昔が繫がる。

     母の着物を着たのは一度きり。成人式には不参加で、大学の卒業式で初めて母の振袖と袴で出席した。社会人になってからは着る機会もなく、四年が過ぎた頃、職場の同僚の結婚式に招待された。一緒に参加する別の同僚は結婚式に着るドレスを持っていないという。

    「「いっそのこと、母の着物を着ようか」」私も彼女も実家住まいで、家に着物のある環境だった。これを利用しない手はない。自然と私達の声は揃っていた。

     早速、母に相談した。「ちょっと、桐箪笥の前に来てくれへんか」母はいつもと違う話し方をした。これは長い話になるぞ、と私は覚悟した。嫁入りで京都から秋田にきて三十余年。艱難辛苦を乗り越え、末っ子の私を含め三人の子を育て上げた母は、喜怒哀楽の感情が強く表に出る時、そして故郷での若かりし頃の話になると、京都弁に戻るのだ。

     桐箪笥を開いて、母は着物と帯の一つ一つについて語ってくれた。母の祖母が着物を自分の手で仕立ててくれた話。柄が地味すぎて父親に購入を反対された話。話し方、触れる手つき、向ける視線、全てが『懐かしい』と語っていた。その日、着物と帯を通して、私は母の歴史を垣間見た気がした。

     そして当日。私は薄いピンク色に扇と花々が散りばめられた訪問着に、橙色に金糸で文様が描かれた帯で臨んだ。雀が飛び立つように結ばれた御太鼓に母は「私の若い頃とは違うんやなぁ」と声を潤ませていた。同じように母親の着物を着た友人と私はお互いを褒めそやし、着物の話で盛り上がった。

     式が終わり、着物と帯はまた仕舞われた。次に帯を広げる時、母はどんな昔話を私に聞かせてくれるのか。それが楽しみである。

     

     

         『私の宝物』

    北方様HP用

      鹿児島県           

       北方 とし子 様

      私と一本の帯の出会いの話です。

    それは夏のある日のこと、デパートの着物売場に気がついたら私は立っていました。

    そこには浴衣や呂の着物の中に夏帯も並んでいたのですが、何故か西陣の袋帯に無性に心ひかれ、どうしても欲しくなりました。

    私は夫の年末のボーナス払いと言う約束で買って帰りタンスの奥深くにしまい込み、秘密の宝物となりました。

     ところがその一ヶ月後に体調を崩した私は入院する事になってしまいました。ひそかに買った帯をなぜながら、

    「あんたをしめないで死なれへん、必ず元気になって帰ってくるから待っててや」帯は「はい」と言ってくれたような気がしました。

     そして私は手術台の人となり、胃ガンで胃は全摘され入院生活三ヶ月。一命はとりとめました。

    年末になり退院が近づいたある日、夫がむつかしい顔で病室に入ってくるなり、

    「いつこんな高い帯を買うたんや!請求書が来てたぞ!」。

    ああ忘れてた、死ぬか生きるかのどたばたですっかり忘れていた。

    うかつでした。

    悪い事は出来ない、請求書でばれるとは思わなかった!私は思わず、

    「この帯をしめる迄は死なれへん、その一心で頑張ったんよ、それでええやんか」

    とっさに出た言葉。

    夫は「・・・・・。」

    退院をした日、帯をひろげて「帰ってきたよ、ありがとう」

    帯は「良かったね、お帰り」と言ってくれました。昔からのいい伝えで難を逃れるのに長い物を買うと良いと言われているが、この帯は不思議な力を私にくれたと思います。

     

     

        『帯の気持ち』

    齋藤様HP用

        愛知県 

             齋藤 まゆみ 様

     私が帯に興味を持ったのは成人式を迎える少し前です。高校生の時に従姉妹の結婚式があり、金刺繍の菊の御紋の入った、古代紫の中振袖でした。とても緊張しました。
    帯を締めての苦しさと華やかに着飾った嬉しさに戸惑いました。
    その後、成人式用の着物を母と探していた時に、西陣織の帯で
    中央に一つ壺の織られた帯に出会いました。とても気にいりましたが、着物が決まらないからと、母には「またね」と言われました。
    着物が決まっても、その帯では合わなくて、仕方なく諦めました。それでも、その帯の事は、何時も思っていました。
    何年か後に、いろ無地の着物を仕立て頂いた時には、自分で壺の帯と決めて探して頂きました。
    デパートの呉服売り場の方で
    何時もご相談にのって頂いてる方に、「壺の帯は、とても縁起が良いと言われていますよ」と教えて頂きました。残念ながら、
    一つ壺の帯はなくて、茶壷が沢山織り込まれた帯になりましたが、大好きな壺の帯に喜びました。
    その甲斐あってか、本当に私の人生は思う壺でした。新しい着物を選んでも、やはり壺の帯は探すということをして、何枚も壺の帯があります。
    壺の帯のお陰で、結婚、子育て、親の介護と様々な事がありましたが、
    何事も上手く乗り越えて、楽しく暮らす事ができました。
    着物や帯は、箪笥のこやしと言われますが、私にはお宝です。
    祖母や母が大切にしていた着物は、
    とても価値のある着物や帯で、それ以上に思い出が詰まっていて、
    その着物を仕立て直しては
    自分なりの満足するオシャレができています。洋服ではできない、
    帯を締める事は、日本人の知恵でしようが、身体の為にもなる実用的な大切な物だと思います。
    忘れられない片思いの帯に出会った事が素敵な着物にも、帯にも出会うきっかけとなりました。
    これからは、歳と共に前屈みになりますが、そうならないように背筋をぴーんと伸ばしてシャキッとして、オシャレに着物を着こなして、
    祖母や母のように「素敵ですね。」と言われるように歳を重ねて生きたいと思います。
    娘へと、我が家の大切な着物や帯を残して、これからも素敵な帯に出会える事を楽しみにしたいと思います。
    帯に携わる方々の思いで、帯を締める私達が幸せになれるのだと思います。着物を着られる方が少ないですが、帯を締めなくても、
    帯の刺繍の素晴らしい色彩など、
    目を楽しませてくれる帯が、
    もっと大切に扱われますように
    次の時代の方に引き継がれますように大切にしていきたいと思います。

     

     

         『言えなかったこと』

    下野様

        福岡県

             下野 えい子 様

    ごめんなさい。きれいな帯をつけていたあの人へ・・・幼すぎた私は恐怖から何も言えないままでした。

     それは大阪での出来事。

    “トリオト”というスーパーの中で、私は母さんに買ってもらったソフトクリームをチビチビと舐めていました。出掛け先でソフトクリームなんて子供にとっては夢なのです。

     すぐに着物を着た女性が私の横を通っていき、私のソフトクリームが彼女の帯に持っていかれました。

     彼女はそれに気づかず“トリオト”をスタスタと進んで行ったのでした。

     母さんはコーンだけを持った私に「食べるの早いねー」と声をかけたのです。

     ソフトクリームは食べてないことも、帯にそれをひっつけてしまったことも言えず、私は呆然と母さんの横を歩いていました。

     着物の女性ものちに驚いたに違いありません。

     きれいにソフトクリームがはがれ落ちていればいいけど、時間が経つうちに帯からダラーンと着物を汚したことでしょう。

     私は彼女の帯を、いや着物を台無しにしたわけです。

     そのときあったテレビ〈あばれはっちゃく〉だったか〈チャコちゃんケンちゃん〉だったか、クリーニング屋の息子が店を手伝った際、白いドレスを赤く汚したドラマのシーンがありました。

     息子は父ちゃんにこっぴどく叱られるのですが、ドレスの汚れが花に見えると逆にお客に感謝されたのです。

     四十を越えた私は今も、ソフトクリーム事件が、そうした方向に進んでくれていたらなあ・・・と願っているのでした。

     ずっとずっと私の心の中にはソフトクリームのついた帯が締まっています。

                               了

     

     

         『祖母の帯と口ぐせ』

    鈴木様

       徳島県 

        鈴木 綾子 様

      「詩吟でもやってみたら」。祖父が他界して沈んでいた祖母に、友人が声をかけてくれた。

     六十の手習いで始めた詩吟は、祖母の趣味となって、新たな希望が生まれ、まるで別人のように生き生きと元気になっていった。

     県の吟詠大会に出場する朝、祖母は利休鼠の色無地に、真新しい松の紋様の帯を締めて出かけて行った。そのしゃんとした後姿が、今も目に焼き付いている。

     大会から帰宅した父が、「今日は涙が出てよわった」と言う。「なんで?」と顔を上げたら、玄関でにっこりと立っている祖母の胸に、優勝トロフィーが輝いていた。

     私の幼い頃、祖母は病弱でよく入院していた。昔の写真はどれも憂い顔で年より老けて見える。二十歳で母を産み母も二十歳で私を産んだので、私の成人式に祖母は還暦だった。

     縁側で着物の仕立てをしながら、よく思い出話をしてくれた。「ばあちゃんは小学校四年までしか行っとらんけんど、人に負けるんが嫌いでな、困った時はいつでも、『おどれくそ、見よってみい!』と叫んで、何でもやってきたけん、できんもんは何やない!」

     阿波弁丸出しの祖母の口ぐせである。

     ――あれから四十年。

     祖母がかわいがってくれた私の息子を失った時「おどれくそ」と言ってみた。「見よってみい!」と叫ぶと、青空が眩しく広がった。息子の分までがんばろうと勇気が湧いてきた。

     私は詩吟も和裁も全くできないが、祖母の口ぐせは、確かに受け継いでいる。

     先日、母の箪笥を整理していると、松の紋様の帯が出てきた。母が大切に保存してくれていたのだ。西陣織独特の錦繍が今も鮮やかで、思わず抱きしめた。祖母の声が聞こえてくるような気がした。あの時の祖母と、ちょうど同じ年齢になった私、似合うかしら・・・・・・。

     今春、母校の入学式に祖母の袋帯を締めて臨んだ。身も心もしゃんとなった。いつか、この帯を娘に譲ろう。祖母の口ぐせと共に。

     

       

         『毎年お借りしていますよ』

    林様 姉妹3人 京都 義母の着物

        島根県

            林 志信 様

     三姉妹で島根に居る長女の私、同じ島根の次女。三女は京都に住んでいる。

    毎年秋に三女の家に三泊の予定で出かける。

    その中の一日は「着物ディ」と名前を付けて三姉妹で着物を着る。

    ユーチューブで覚えたくらいの着方ではあるが、着物自体を好きな三姉妹なので、ある年に京都観光は着物を着ようという話になった。

    最初は、着物も帯もすべて島根から持参し、何とか着ることが出来た。

     20年くらい前に同居だった三女のお姑さんが亡くなり、形見分けとして三女にも着物と帯を頂いていた。

    その時、三女が「お義母さんからもらった帯を合わせる」といい、形見の着物や帯を見せてもらった。まぁまぁの枚数ある。

    しかも私達が大好きなシックな柄ばかり。

    「いいねぇこの帯達」と言うと「来年はみんなでお義母さんの残した帯をつけてみようよ」という話になった。

    次の年は着物だけの持参になり三女のお義母さんの帯を三姉妹が借りて京都観光に出かけることになった。

    その後、三人の着物を着て出かけた写真をみて、同じく形見分けをしてもらっていたお義母さんの娘3人が

    「私達は着ることがないからあなた達に着てもらったら母も喜ぶ」と言ってたくさんの着物と帯を三女の家に持って来てくれた。

     あれから18年。

    毎年の京都観光。

    今では帯はお義母さんのものを身に着けることが恒例となった。

    写真を撮り三女の旦那様がカメラマンとなり毎年毎年インスタグラムに載せてくれている。

    形見分けの着物と帯を手放してくれた娘さんもそれを見て喜んでいると聞いた。

    私や次女にとっては、妹の嫁ぎ先のお義母さんの帯を毎年毎年楽しみに選んでいるのである。

    お義母さんも、まさか自分が残した帯たちを、嫁の姉妹が毎年毎年借りることになるとは思っていなかったに違いない。

    でも、毎年のことながら、とても楽しみなのである。

     そして、一つの発見がある。

    自分が選んで購入した帯でなければ、着物との合わせ方、帯揚げ帯締め。どれも合わせるのが楽しみでセンスやアイディア、いつも発見がある。

    さて、今年の秋の京都観光。

    どの着物と帯をお借りして合わせて着ましょうか。

     

       

         『帯はよみがえる』

    雪田様

       鹿児島県

            雪田 倫代 様

     三年前、初めて自分で帯を買った。京袋帯で、白地に赤や青、黄色の糸を使った七宝柄の刺繍が施されているものだった。お茶を習っているので、お茶会に着ていくためだった。高価なものだったが、白はどんな着物にも合わせやすいと言われて、納得して買った。

    初めてのお茶会は、野点だった。突然の雨。私は濡れてしまったが、着物や帯を気にするひまはなく、しつらえの異動や点て出しの準備に追われた。お茶会の成功のために夢中だった。十二時間以上経って、ようやく家にたどり着き、帯をほどいたときになって初めて、帯が汚れてしまっていることに気づいた。

    ショックだった。その黒っぽい染みはクリーニングに出しても落ちず、あきらめきれずにいくつかの店に頼んでも無理だった。お太鼓を結ぶと目立つ位置の染みで、普段使いにもできない。ひどくがっかりした。

    それでも捨てるに捨てきれず、タンスに入れっぱなしにしていた。着物を取り出すたび、染みのついた白い帯が見え、悲しい気持ちになった。

    今年の春、着物屋さんに行く機会があり、ダメもとで持参して相談すると、京都の悉皆屋さんに出しましょう、と言われた。染め直しができるのでは、と。好きな色を聞かれ、私は期待せずに紺色、と言った。

    今日、帯が届いた。畳紙を開くと、初めてこの帯に出会ったような気がし、胸がどきどきした。わざわざ帯を解き、布を染め、再び帯に仕立ててくれたのだという。職人の技の丁寧さに驚いた。想像以上の美しさの帯になった。初めにあった黄色を生かし、残りは濃紺に染め、摩擦で糸がほつれた部分も目立たなくなっていた。三年前、私のせいで汚してしまった帯が、鮮やかに生まれ変わった。

    三年前は、自分でお太鼓を結べなかったが、今は自分で着つけも出来るようになった。

    今年もまた、お茶会がある。私は再びこの帯を締めて臨みたい。

     

       

         『結べない帯』

    吉岡様HP用3

        神奈川県 

            T.Y.様

     暑い夏の日、神奈川県郊外の静かな街で私たちは午後六時に待ち合わせの約束をしていた。

     彼は同じ会社の同僚だった。豪快で気さくなベテラン社員が多い自動車製造工場で、年が近くて物腰が柔らかな彼は周りの人とは違って見えた。付き合ったばかりの私たちは近所で開催される花火大会を楽しみにしていた。

     おめかしをすると決めていたのに、生成り色の地に朱色の鬼灯が映えるお気に入りの浴衣を羽織り、私は鏡の前で悪戦苦闘していた。過去に何度か浴衣を着付けた経験があったが、その日は帯がうまく結べなかった。表地の桜の刺繍と裏地の市松文を両方見せたいのにバランスがうまく取れない。何度も結び直したが、約束の時間に彼が迎えに来ても出掛けられる状態にはならなかった。ごめんね、もう少しだから、と言いながらも帯は全然言うことを聞いてくれない。結局当初の予定を三十分も過ぎてしまったのに、彼は私の部屋で何も言わずにじっと待っていてくれた。

     その日の花火は美しかった。彼が私を待ってくれたからこそ見ることが出来たものだった。

     思えば彼を待たせることの多い人生だった。

     その後私たちは婚約したが、結婚の準備を進めているうちに彼の一年半のアメリカ出向が決まり、慌てて両家の顔合わせを行い入籍した。会社の休職制度を使い彼についていく調整をしていたが、急な人員不足を理由に足止めにあい、結局合流できたのは半年後だった。

     アメリカのミシシッピ州は広大な田舎だった。土日や昼夜を問わず働く彼を生活面でサポートする日々が数ヶ月続き、気付けば自分のキャリア形成に関する悩みが私の考えごとの大半を占めた。理解ある上司に相談に乗ってもらい、次のステップのために彼を残して先に日本に戻り、職場に復帰することを決めた。

     最終日の空港で彼の目尻に涙が浮かんだ。だけど、あの夏、帯が結べない私を待つのと同じように、彼は言葉少なに「アメリカに来てくれてありがとう」とだけ言って私を送り出してくれた。

     赴任が終わり日本で一緒に暮らし始めた今も、夫はよく私を待ってくれる。ある日は残業続きの私のために夜ご飯を作って。またある日はぐうたらな妻をベッドに残して休日の朝に洗濯をしながら。そんな夫の穏やかな雰囲気に誘われて、結べない帯の記憶は色褪せない思い出となり人生の折々で呼び起こされ続けている。

     

    創業110周年記念特別賞 

         『鯉に成長した金魚』

       宮崎県 

            星野 有加里 様

     「蝶々みたいで可愛い!帯、似合ってるよ!」

     母はそう言ったけれど、私には金魚に見えた。縁日の街をヒラヒラ泳ぎ回る金魚たち。

    「こんな帯、もうやだ!大人の帯にして!」

     『金魚帯』に抵抗したのは、小五の夏祭り。

    「中学生になったら買うから、我慢してね」

     母は困り顔で宥める。隣で真紅の帯を蝶結びした得意げな中二の姉が、遥か大人のお姉さんに見えて悔しかった。子供三人の教育費、家のローン。帯を買う余裕もなかったのだ。 

    五年生になった途端、兵児帯を卒業した級友達。自分だけが未だ子供の帯で縁日へ行くのが恥ずかしくて、友達の誘いを断った。

     でも中学生になった私は浴衣より流行の洋服を欲しがるようになり、帯は買わなかった。

     京都の大学へ進学し、二十歳を迎えた秋。

    母から電話が来た。「振袖を買ってあげる」と。「どうせ一回しか着ないから要らない」と断る私。だが、十年前は浴衣帯すら渋った母が頑として譲らず。成人女性の証、振袖。それは娘を持つ母にとって特別な儀式だったのだ。

    振袖を買う時、「帯はこれにする」と私は一目で即決。黒地に赤の鯉文様の帯。愛嬌溢れるまん丸な目が訴える。「私を連れてって」と。

    私は十年かけて金魚を卒業し、鯉へ成長した。

    その冬、ロンドン留学が決まった。京都で学んだ日本の誇り高き伝統文化と文学、そして振袖と共に海を渡る。鯉は空を昇っていく。

    ドレスコード指定のパーティに招待された時、悩んだ挙句思い切って振袖を着て行った。

    Fantastic! Japanese beauty is best!

    英国紳士、淑女達は目を輝かせ、賞賛の嵐。

    見たか!日本の伝統美を!と鼻高々な私は、「Fair feathers make fair fowls」(美しき羽は鳥を美しくする)と自慢げに長い袖をひらひら振る。鯉も帯の池ですいすい華麗に泳ぐ。

    その後も、パーティや卒業式、知人の結婚式で振袖は大活躍。その度に「どこが一回しか着ないからよ?」と厭味を忘れない母(笑)。

    数年前、ある結婚式で隣席の男性を見た刹那ドキ!と胸が高鳴った。お腹の帯の鯉もぴょん!と高く跳ねる。袖すり合うも多生の縁。

    二年後、私は振袖の長い袖を切る事になる。 

     

     

  • 2017年6月16日

    平成29年度 第17回創業110周年記念「帯にまつわる話」入賞者発表

    平成29年度第17回創業110周年記念「帯にまつわる話」にたくさんのご応募ありがとうございました。

    厳選なる審査の結果、以下のとおり受賞作品が決定いたしました。

     

    平成29年度第17回創業110周年記念「帯にまつわる話」入賞者

    大賞『おばあちゃんの里帰り』感王寺 美智子さん 熊本県

    優秀賞『まるたけえびすに』大西 和美さん 大阪府

    特選『帯を広げる』 M.K.さん 秋田県

    特選『私の宝物』北方 とし子さん 鹿児島県

    特選『帯の気持ち』齋藤 まゆみさん 愛知県

    特選『言えなかったこと』下野 えい子さん 福岡県

    特選『祖母の帯と口ぐせ』鈴木 綾子さん 徳島県

    特選『毎年お借りしていますよ』林 志信さん 島根県

    特選『帯はよみがえる』雪田 倫代さん 鹿児島県

    特選『結べない帯』T.Y.さん 神奈川県

    創業110周年記念特別賞

      『鯉に成長した金魚』星野 有加里さん 宮崎県

    (五十音順)

  • 2017年2月10日

    「第十七回創業110周年記念 帯にまつわる話」大募集

    おかげさまで「帯にまつわる話」エッセイも17回目の募集を数えることができました。これもひとえに着物や帯に興味をいだかれ、親しまれ、着物文化、帯文化、日本の和の文化にご理解のあるたくさんの皆様方のおかげと感謝いたしております。

    創業110年を迎え西陣帯地製造業「西陣まいづる」では、帯文化を後世に伝えるため、第17回「帯にまつわる話」エッセイを募集いたします。

    平成29年2月吉日

    《要 項》

    【募集内容】忘れることのできない帯の思い出、温めておいた帯への想い・あこがれ、エピソード。 帯にまつわることであれば内容は自由です。自作未発表作品に限ります。

    【応募規定】用紙は自由、ワープロ原稿も可能です。作品は800字程度で氏名、年齢、〒住所、職業、電話番号、題名を明記の上、郵便かメールで下記宛先にお送りください。

    メールで応募の場合は件名を「帯エッセイ係」として下さい。

    【応募資格】不問

    【賞】選考委員会で審査し、入賞11点を選び、大賞1編に西陣まいづる謹製の琴糸織袋帯、優秀賞1編に同じく西陣まいづる謹製の夏利休夏袋帯、特選8編に特製螺鈿帯留、さらに今回は弊社創業110周年記念として特別賞1編に西陣まいづる謹製の夏九寸浮衣をプレゼントいたします。

    【締切】平成29年5月1日(月)(当日消印有効)

    【発表】発表は6月上旬、入賞者に通知し、ホームページに掲載いたします。

    【表彰式】平成29年7月14日(金)予定

    【諸権利】入選作品に関する著作権、所有権及び諸権利は株式会社西陣まいづるに帰属します。

    H29エッセイ賞品写真HP

    大賞の副賞・琴糸織袋帯(中央)と優秀賞の副賞・夏利休夏袋帯(左)と創業110周年記念特別賞・夏九寸浮衣(右)

    《作品送付先/お問い合わせ先》

     〒602-8446 京都市上京区五辻通大宮西入五辻町39

      株式会社西陣まいづる「帯エッセイ係」

      TEL: 075-441-0001 Fax: 075-415-0722

      E-mail: maizuru@nishijin.net 

  • 2016年12月9日

    平成28年第16回「帯にまつわる話」エッセイ入賞作品

    先日、弊社にて第16回「帯にまつわる話」エッセイコンテストの表彰式を行いました。

    たくさんのご応募をいただいた中から見事入選されました皆様の作品をご披露させていただきます。

     

     

      

    『さかさまの鳳凰』

     

    DSC02019 HP

    神奈川県

    座間 舞子 様

     

     鳳凰が真っ逆さまに優雅な羽を広げていた。

     

      弟の嫁はバリバリのキャリアウーマンで嫁いでくるまで七五三と成人式以外には着物を着た経験がない現代っ子だった。若い感覚の二人はすべて自分たちで決め結婚式に関しても親に一切の相談はせず、厳格な母は顔合わせの時からその結婚に不機嫌だった。

     

     このお席の装いはどのように、と着物や帯の取り合わせを相談しに来る若い嫁に頼られる姑になることを母は夢見ていたのだろう。万事をすっすと動かす指先のスマホで済ませて涼しい顔をしている嫁を苦々しく思う心中が娘の私には手に取るようにわかる。

     

     何をしてやってもお礼状のひとつも届かない、着るものがなかったら困るだろうと、背が高いから仕立て直して一式揃えてあげてもメールがたったの3行よ!実家で母のまくしたてる苦言に耳を傾け落ち着いたら帰るというのは私の役割、当の二人は面倒になったのか実家に距離をおくようになり何かあるたびに家族で集まる我が家の風習は数年間失われていた。

     

     父の喜寿のお祝いをすることになり、お忙しいでしょうから無理にいらしてくださらなくって結構ですけれど家族ですからお知らせだけ、と電話しておいたわ、という母の口調には諦めと寂しさが滲んでいた。

     

     当日、弟嫁が着てきたものは手足の長い彼女用に母が仕立て直した曙色の無地の一つ紋で、その胴に巻かれていたのは数年前に他界した父方の祖母の形見分けで彼女にわたった、上品な鳳凰が織り出された家族の誰もが目にしたことのある、若き日の祖母や叔母のお気に入りの一本だった。母は朝から唇を引き結んでいた。二人が父にお祝いの言葉を述べ背中を向けて席に着こうとしたときに見えたのは嫁のお太鼓に、見事に下降する鳳凰の姿だった。両親は目をまん丸に見開いて、そして父が呵々大笑した。一座の緊張は和やかに緩んだ。

     

     『え?え?you tube 見て頑張ったんですけど、なんかすみません!変だったですか、どうしよう、ごめんなさい!』優しい空気の中で共にあたふたとする嫁と弟はとても可愛らしく微笑ましかった。

     

     ひとしきり笑ったあとの母の眉間は和らぎ今までの険は消えていた。

     

    『・・・。夫のために、今日のために頑張ってくれてありがとうね。』

     

     

     

    『帯の音から感じる最期』

    滋賀県

     雪村 あかり 様

     

      シュッ音が聞こえてきた。夏になるとおばあちゃんが着物で出かける日がある。薄いピンクの着物と白い日傘を持って、真夏の昼に出向く。この日が一年で一番、心臓の鼓動を強く感じる日だ。普段のおばあちゃんは畑仕事をするので、いつも汚れてもいい楽な服を着ている。でも今日だけは着物を着て出かけて行く。8月26日、おじいちゃんの命日だ。おばあちゃん以外の家族がこの日、お墓に行くことはない。

     

     私がまだ小学生の頃におじいちゃんは亡くなった。お墓に入るまで、おばあちゃんはおじいちゃんのそばを離れなかった。みんなには隠しているつもりだろうけど、目が腫れているのを見て、相当泣いたんだと思う。無理やり笑顔を作っている姿をよく見た。それを見かねて命日は、おじいちゃんとおばあちゃんだけが過ごせるように、心がける。

     

     温度が高すぎる夏の昼を選ぶ理由はおじいちゃんが亡くなる前に一番よく過ごした時間だから。この日だけ着物を着ていくのはおじいちゃんにきれいな姿で会いたいから。お墓に行くだけで熱射病や体調不良を心配するが、この日だけは見逃すしかない。水分を出来るだけ持たせて、タクシーを呼んでおじいちゃんの所へ送る。お父さんは変装してお墓に近いところから見守っているらしいけど。この日だけ私達はお墓に行く事はない。おばあちゃんがおじいちゃんと過ごせるように。人目を気にせずに沢山泣けるように。それぞれが遠い影から見守る。送り出す時にこの瞬間がおばあちゃんの元気な姿を見る、最期の日になるのかもしれないと鼓動が早まる。

     

     今年も帯を結ぶ音が聞こえてきた。年々老いていくおばあちゃんが無理をして暑い日に外に出て欲しくない。だけどおじいちゃんと時間を過ごしてほしい。なんともいえない感情が私の目を曇らせる。それでも出来ることはおばあちゃんを見送ることだけ。帯の音は今年も心臓を突き動かす。

     

     

     

     

    『確かな繋がり』

    東京都

    小川 元志 様

     

     母は茨城の片田舎で母の祖父母に育てられた。実父母の顔は見たことがないという。

     

    「実母」は出征直前に「実夫」と祝言を挙げ、間もなく母を儲けるが、「実父」戦死の連絡を受け、程なくして第三者と再婚させられたのだという。結果、生後間もない母は祖父母が預かる格好となった。

     

      ある日、茨城の親戚筋から、母宛に一本の電話が入った。

     

    母の産みの親である「実母」が余命幾許かの状態で、最後に一目母に逢いたいと伝えてほしい、との危急の連絡だった。

     

    夫に先立たれ、我が子を手放し再婚した「実母」の気持ちを、母がどの程度理解していたかは定かではない。しかし、母は再三の帰郷要請を頑なに断り続けた。

     

    「理由はどうあれ、親子の繋がりが実感できない」というのが一番の理由だった。

     

     しばらくして、親戚筋から母宛に小包が送られてきた。

     

    小包には「実母」逝去の旨をしたためた文書とともに、一本の着物の帯と、母と思しき女児を抱いた「実母」らしき着物の女性が写し出された白黒写真が同封されていた。

     

    お宮参りだろうか。写真には「実母」らしき女性が締めている帯が、同封の代物のようだった。おそらく、母の誕生にあたりお宮参り用の着物と帯を誂えたものなのであろう。「名古屋帯ね。金糸が入っているわ」と母がつぶやく。

     

      正直、紫がかった帯はひどく地味に見えた。が、当時物資が不足している中、金糸混じりの帯はきっと貴重品であったはずだ。豪華なものではないが、きちんとした肌触りで、何より長年大事に折り畳まれていたようだった。

     

    光の加減か、不意に白黒写真の中で「実母」の腰元の帯がキラリと光った気がした。頬を伝い一筋の涙が帯に落ちる。それは確かに母と「実母」とを繋ぐ絆だった。

     

    「繫がりは、ここにあったわ」

     

      結婚して7年。長い不妊治療期間を経て、母に孫を抱かせることが出来た。

    そのお宮参りの日、着物を纏う母の腰元には、名古屋帯が締められていた。

    それは、次世代に継がれていくべき、一本の確かな繫がりであった。

     

     

     

     

    『みんさー織りの帯』

    福岡県

    .. 様

     

     「この帯はね、いつ(五つ)の世(四つ)までも末永くと女の人が男の人を思って織った柄なんよ」と母が教えてくれた。

     

    まだ、私が十歳位の頃だったように思う。

     

    その時は、みんさー織りという井桁(いげた)模様が並んでいるだけの帯があまりきれいだとは思えず、「へぇ~」と頷くだけだった。

     

     私の父は鋸(のこ)の目立て(めたて)という仕事の職人で、鋸の小さい刃を、ヤスリで一つ一つ擦って砥いでいく。何度も叩いて、刃の角度を調節する。

     

    一本の鋸を仕上げるのに、二時間はかかっていたように思う。

     

    クーラーなど無い昭和の時代。

     

    汗だくで働く父のため、母は日に何度も冷凍室で凍らせたオシボリを運んだ。

     

     大食漢だった父の三度の食事の世話に追われ、いつも割烹着。

     

    私の記憶の中の母は、台所の湯気の向こうにいる後ろ姿だ。

     

     そんな母が月に一度「組合の寄り合い」に夫婦で出かける時は、別人のようにお化粧をしてこの帯を締めた。

     

    大島風の渋い色の着物にエンジ色のみんさー織りの帯。

     

    母の白い顔が際立って、なまめかしく美しかった。

     

    父はお酒が大好きで、ある酒量を超えると今ではドラマでしかお目にかからない光景だが、卓袱台をひっくり返すこともしばしば・・・・苦労が多かったはずなのに、母はいつも陽気で家の中は笑いで溢れていた。

     

     戦争中に大恋愛で結ばれた父と母

     

    後年、父は「こげんな娘(母)が俺の嫁さんになってくれたらよかとに・・・と思っとったけど、まさか来てくれるとは思わんやった!よう来てくれたなぁ~」と言っていた。

     

    サイパンで母は許嫁(いいなづけ)を亡くしたということを聞いたのもこの頃。気落ちした母を支えたのは父の愛だったのだろう。

     

    私が嫁いだ後も、父の仕事が暇な時は、母の手作り弁当を持って近所の河原へピクニックに行っていた。小柄な二人が並んで歩く姿が浮かび、ほんのり温かい気持ちになった。

     

    あれから30年・・・

     

    私たちも娘二人を嫁がせて二人暮らしになった。

     

    夫が「あんたとこの両親みたいにピクニックに行こうか」つぶやく。

     

    もう二人には会えないが、みんさー織りの帯をたまに締めて出かけたくなる。

     

    そっと目をつぶると、「いつの世までも」一緒に歩く父と母の姿が見えるような気がした。

     

     

     

     

    『ロイアルアスコットデビュー』

    東京都

    原 祐子 様

     

     「髪飾りは?髪飾りか帽子の着用がなくては入場できませんよ」

     

    「え?そんな、話が違うじゃない。ここまで来て入れないの?はるばる日本から来たのよ」

     

    2014年6月、世界で最も華やかな競馬の祭典、ロイヤルアスコット観戦に来た私は、イギリス、アスコット競馬場の正門前で、服装チェックの検問にひっかかり途方に暮れていた。今日は心配していた帯結びもうまくいった。「帯がうまく結べた日にはいい事が起きる!」という私のジンクスは一体どうなったの。

     

     英国王室主催のロイヤルアスコットには一般席にも厳しいドレスコードがあり、女性は帽子か髪飾りの着用が必須。しかし、各国の民族衣装ならその必要はないという。それがわかった時、私は迷わず決めた。だったら、着物にしよう!

     

     問題はどの着物にするかということ。何せ海外初デビューの着物である。長い長い思案の末に選んだのは、色とりどりの四季の花を描いた朱色地の着物。年齢と共に派手すぎて着る機会が減ってきたものの、海外の華やかなシーンには一番ふさわしいはずだ。合せる帯は、銀糸で文様を表した名古屋帯。母からもらった古い帯だが、派手目の色合いをきりっと締める洒落た逸品だ。何度もの試行錯誤の上に決めた着物と帯。

     

     そんな苦労も知らずに、入場させないなんて!と憤慨していると、事態を察したらしいベテランの女性係員がやってきた。

     

    「マダム、大変失礼いたしました。もちろん、髪飾りも帽子も必要ありません」とまずは丁重に謝ってくれたうえで、こう言ってくれた。「それにしても素晴らしい装いですね。まさにジャパンビューティ!今日の舞台にぴったりですよ。着物を持ってくるのも着るのも大変だったでしょうに、ありがとうございます」ああ、よかった!わかってくれる人はいるのだ。

     

     その日は、何故かしら馬券も面白いように当たった。「帯がうまく結べた日にはいい事が起きる!」どうやらこのジンクスは海外でも神通力を失っていないようである。

     

     

     

     

    『憧れ』

    石川県

    原田 優美子 様

     

    今も目に焼き付いて離れないのは、黒地に金の豪奢な模様の帯で、姉が成人式に締めたものだ。

     

     五つ違いの私は、成人式には自分もあの帯を締めるのだとうっとりと見つめていた。しかし、私はその帯をしめることはできなかった。なぜなら早々と姉が嫁いでしまい、婚礼道具とともに婚家へ持参してからは、おいそれと借りることとてままならず、気付けばあれから20年以上が過ぎた。

     

     私も姉も近頃ようやくゆっくりと話す時間が持てるようになり、ふと思い出して「ねえ、あの帯どうした?」と聞くと、姉はピンときたらしく「今度持ってきてあげるから、あててみたら?」とのこと。後日、実家で姉と二人、過ぎた年月を感じるたとう紙を開いてみたところ、それとはうらはらに中からはあの日目にしたままの黒い艶やかな袋帯が現れた。衣桁にかけてよく見ると、模様は季節の花々を金糸で所狭しと細かく刺繍したもので、豪華ながら地色が黒いせいかどっしりと落ち着いていて、やはり心が吸い寄せられる美しさだった。

     

     「ほら早く!」と姉に言われるままあててみると、なんだかしっくりこない。あれ?こんな感じだったかな?確かにこの帯なんだけど・・・。まじまじ見つめるうちにふと姿見に映る姉の姿が目に入った。「あ。」思わず声を上げると「どうしたの?」と姉の不審そうな声。鏡に映る姉の顔立ちに、帯はなんともしっくり美しく映えるのであった。ふふふ。と笑い出すとともに、妙に納得する私。「ねえお姉ちゃんあててみてよ。」と頼むと不審がりながらあててみてくれた。二十歳のあの日の眩しいばかりの美しい姉がそこにいた。「私が憧れてたのは帯じゃなかったみたい。」と年甲斐もなく帯ごと姉に抱き着くと驚いた姉もそのうちおかしがって笑いだした。一本の帯があの頃の私たちのきらきらした日々を思い出させてくれた。そして残念ながら姉が私よりうんと美人なことも!

     

     

     

     

    『大人証明書』

    愛知県

    松井 優茉 様

     

     大人になりたくなかった。大人はきっと楽しくない。すれ違う大人達には笑顔がない。それに、自由もない。そうはなりたくない。

     

    「じゃあ、帯を締めますよ。」

     

     ある寒い日、私は祖母と成人式のための振袖を選びに近所の呉服屋を訪れた。着物を着付けてくれる笑顔の素敵なおば様と、着物を見立ててくれる粋なおじ様がそのお店の店主だ。おば様と祖母がお金の話をしている時、私はおじ様とたわいもない話をしていた。

     

    「成人式だね、もう君も二十歳か。」

     

    この呉服屋では、三歳と七歳の時にお世話になっていたから、親戚の次くらいには私の成長を見守ってくれていたおじ様。そう言ってくれた時、大人にはなりたくない、と答えた。おじ様はにっこり笑った。

     

    「大人になりたくないと思えれば立派な大人だ。自由がないと言うけれど、じゃあ君の自由って何かな。お母さんや先生の掌で生きるのが自由かな?そうじゃないだろう。大人は自分で考えて、自分で決めて、はじめて自由だとか、笑顔になれる素敵なことを見つけるんだ。今迄みたいに、人から与えられる物が自由だと思ってはいけない。僕が君に渡すこの帯は、君のための《大人証明書》だよ。」

     

     帯は飴色の地に、毬が描かれている。おじ様が私にぴったり合う、と選んでくれたものだ。私の振袖を締める帯、私の気を引き締める帯、私の心に、おじ様の言葉を締める帯。来年の一月、成人の日に猩々の振袖を、この帯が締める。その日、私はおじ様からの《大人証明書》を世に見せ、認証させるのだ。

     

     私は大人になる。これから何をするか、どうするかは、私の掌にある。右往左往して、辛くなることもあるだろう。大人は、難しくって大変な事が多いだろうけれど、修学旅行の前日のようなわくわくした気持ちになる。なあんだ、大人って楽しそうだ。おじ様、素敵な帯を選んでくれてありがとう。私、おじ様みたいな素敵な大人になりますね。

     

     

     

     

    『私とお直しおばさん』

    神奈川県

    村上 怜見 様 

     

     お直しおばさん・・・着付けのお直しを勝手にしてくださる年配のご婦人。自分が着物に精通している自負があり良かれと思ってやっているので厄介。絹の帯や着物であろうと手も洗わずに触ってくる他、彼女たちの爪によって帯に傷がつくことも。つまり、着物女子の(かたき)

     

     お直しおばさんへの一方的因縁の始まりは私が高校生の時にさかのぼる。

     

     着物で大阪城公園を観光中、一人のご婦人が背後から近づくと、いきなり私の帯を引っ張り、慣れた手つきで帯周りをまさぐりだした。私が、(ああぁ絹の帯揚げがあああぁぁさっきそこでパン食べてたやん!手でちぎってたやん!)とか(いやぁぁぁ私のお気に入りの帯があぁぁ二万!二万!っうかそのネイル!ストーンついとるうぅぅ!!!)などと内心パニックになっている内にお直しは終わったらしく、彼女はこれでええわと言い残して去っていった。

     

    死ぬ。怖かった。どっと押し寄せる疲労感。結局何も言えなかった私。そして何より、お気に入りの帯には彼女の指の跡が・・・合掌。

     

     初めての出会いは完全にトラウマになり、どこからでも湧いてくる(失礼)お直しおばさんに出会う度、いまだ恐怖に震えてしまう。

     

     でも、私は彼女たちのことを嫌いになりきれないんです。だって、彼女たちは自分の娘の帯を直してあげたかったのかなと思うから。一緒に着物で宝塚観劇とかしたかったのかなとも思うし。対峙してきたお直しおばさんたちは、みんな満足そうに去っていきました。

     

     そして私はお気に入りの数千円の帯をイライラ染み抜きしながら、お太鼓の締め方を教えてくれた母のことを思います。今何しとるんかな。実家に置いてきた帯どうなったんやろ、なんて。

     

     着物女子であり続ける限り、お直しおばさんと出会い続けることでしょう。そりゃあ、出会わない方がいいし、最近はべたべた触られると嫌みの一つや二つ言えるようにもなりました。

     

     現在、081引き分け。私はこれからもお直しおばさんと一方的に闘い続けることを宣言します。

     

     

     

     

    『寮管さんの掌』

     

     

     柳井 理沙 様

     

    今から八年前のことです。私は高校を卒業後、故郷を遠く離れ入社した企業の社員寮に住んでいました。入寮した直後から挨拶、服装、図書館の返却催促のハガキ、門限など本当に暮らしの小さなことを関西弁でぴしゃりと、ひっつめ髪の怖い顔で毎日注意してくる寮の管理人のおばさんの事が私は本当に苦手でした。ある冬の夜、成人式の話が友達との会話の隅にものぼる頃でした。最初から故郷ではなく会社で行ってくれる成人式に出るつもりでいた私は、美しい振り袖は眼中になく、当日はスーツを着るつもりでした。当時、同期より仕事の覚えが悪くて愛想もなかった私の振り袖姿なんて皆は笑うだけだろうと思ったからです。その夜、寮の和室には貸衣装屋さんとあの寮の管理人のおばさんと華やかな容姿の同期の女の子が居て、楽しそうに色とりどりの振り袖を畳に広げ選んでいました。おばさんに見つからないように自室へ向かおうとした私を同期とおばさんが呼び止めました。「理沙ちゃんにも似合うのがきっとあるよ。」おばさんが私を理沙ちゃんと呼んだことに驚きながら和室に向かうと、おばさんは、あれこれ着物を体に当てながら貸衣装やさんに言いました。「この子は本当にお人形さんみたいなかわいい顔でしょう、きっとその金色の華やかな帯じゃなきゃこの子に負けちゃう、きれいな着物を見つけてあげてください」試しに着付けた私を見て、おばさんはきれいねと笑って言って背中を叩きました。おばさんの掌のぬくもりと貸衣装さんがきつくしめた金の帯に瞼が熱くなりました。本当は知っていました。門限も私服のスカートの長さも同期から孤立してぽつりと一人で食べるご飯にも、何でもうるさかったおばさんが私の事を心配し何度も会社に相談していたこと。おばさんと選んだ着物と帯で参加した成人式は、参加していたベテランのパートさんにも「今年の新入社員で理沙ちゃんが一番きれい」と言ってもらえました。嬉しくて、おばさんにありがとうを伝えようと寮に駆けていくと、おばさんがなぜか寂しそうに笑っていました。「きれいやね。よかった。ほんまにあんたが心配やった。おばさんな、今月一杯でここ辞めるねん。」突然の報告に胸がきゅんと狭くなりました。おばさんと選んだ金色の帯が涙で溺れて見えました。いつも親より厳しくて、でも温かいおばさんの言葉は今も私の心に金色の帯を巻いてくれています。おばさん、ありがとう。

     

     

     

    『着物と帯とインターネット』

     

    DSC01959 HP

    大阪府

    田中 理佐 様

     

     離れて暮らしていた母が突然亡くなり、一人娘の私が実家の片付けに追われたのは二年前のことだ。母のタンスに遺されたのは洗い張りされた布地と色とりどりの帯たち。いつか着物に興味をもったらね、と言われたが、今まで関心を抱かなかった。さしあたって着物を着なければならない場面もない。まだ着物の形であればよかった。仕立て直すには知識もお金もいるのだ。必要でないものは処分するしかない。そう思っていたのだが、帯ひとつ手に取ってあててみたら、もういけなかった。これは母につながるものだ。そう思うと涙がこぼれ出た。手離したくない、と心が言った。

     

     知識はない。しかし呉服屋に持ち込むには敷居が高すぎる。私は思いついてネットのコミュニティで相談をしてみた。画像を載せ、正直な思いを綴った。反応は即座にあった。

     

     「お母様の着物を着たいと思われたことに何の説明もいりません。」「昔の絹は上質ですので是非仕立て直して着てみて下さい」

     

     それから何度もネット上で相談を重ねた末、とうとう私は、大島紬と鮫小紋を仕立て直した。帯合わせなどもわからないので、画像をあげて見立ててもらった。

     

     「右側の帯にこの帯締めはカジュアルすぎます」「帯あげは帯の中から一色もってきて」

     

     さまざまな意見を参考にして私はこの春、高校生になる娘の入学式に、着物姿で出席したのだった。

     

     当日着つけの先生に「古い帯ですので」とつい言いわけのように口にしたら、「使いこまれて締めやすいよい帯ですよ」とほめられてとてもうれしかった。自分ひとりではここまでできなかっただろう。ネットのお仲間には感謝の気持ちでいっぱいだ。

     

     後は、自分で帯が締められるようになればいいのだけれど。「練習すればできる」と励まされつつ、残念ながらまだそこまで到達できずにいる。

     

     

     

     

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帯にまつわるエッセイ大賞とは