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2011年7月

  • 2011年7月8日

    2011年度 大賞受賞作品
    『母の愛情表現』
    坂井 和代(石川県)
    「苦しくない?苦しくない?」ある番組で成人式の振袖を母親が娘に着付けをする為に着付けの練習をするというものがあった。花の様に育った娘は母親よりも背が高い。汗だくになって着せる母親。一つ一つ着せるたびに聞く「どう苦しくない?」と。それだけなのに……。胸が一杯になった。
    母は生まれる前に父親が戦死。食べていく為に母親は里に母を預けて働いた。高校は遠く離れた場所にあり、十五才から一人暮らしをしていた。さみしい家庭に育った。そのせいか愛情表現がヘタだった。何気なく言われた言葉にも私はいつも傷付いて心から涙を流していた。傷付かない為に母といつも距離をおいていた。
    「成人式には、お母さんがあんたの振袖を着せるから。」と母。着付け教室に通い始めた。教室に行ってきた日は、忘れない為に練習を欠かさない。ノートには細やかな注意点がびっしりとある。練習用のマネキンを購入したが「やはり生の人間でないと。」と「ここに立って。」と始まる。向い合せに母と立つ。気がつかなかった。母の背がいつの間にか私より小さくなっている事を。 知らなかった白髪(しらが)が増えて頭のてっぺんが薄くなっていた事を。「ど う、苦しくない?思いっきりしめるよ。」と帯を結んだ時、母の力が弱い事を知った。ひんやりとした絹の振袖の着心地。習いたての帯結び。「いろんな結び方があるのね?」と聞くといろんな結び方をしてくれた。びっしりと書かれたノートから母の愛情が伝わってきた。マスターする為にきっと何度も、何度も教室で練習をしたのだろう。
    「お母さん、私の成人式の時は何を着るの?」と娘。今年の春に高校を卒業する。私が成人式の時に着た振袖を着せようと思っている。帯もそのまま使うつもりだ。着付け教室に通ってみようかと考えている。
  • 2011年7月8日

    2011年度 優秀賞受賞作品
    成人式のお供
    森 千恵子(福岡県)
    私の次女の成人式の思い出は、今でも家族の心を笑顔にしてくれます。成人の日が近づいた頃、娘が着付けを私にして欲しいと言います。私は嬉しい反面、帯をうまく結べるかしらと心配でした。それでもワクワクしながら帯結びの本を読み、順序を頭に入れました。
    当日の早朝、私は神棚や仏壇に娘の成長を感謝し、上手に着せられますようにと手を合せたのです。次女の髪を長女が結っています。鏡の中の姉妹の笑顔が私を幸せな気持ちにしてくれました。
    「お母さん、タスキにハチマキまでして…」
    長女が笑っています。
    「これくらい気合いを入れないと、帯は上手に結べないのよ」
    (メインの柄が、正面に納まりますように!)
    夫と長女が小物を私に手渡したり、帯を引っ張ったりと大活躍をしてくれました。晴れ姿が完成すると皆の拍手で、次女の笑顔が弾けます。娘を送り出すと、外は粉雪が舞い始めました。ですが私は汗だくで、心の中を温かい風が吹いているようでした。親子で協力して楽しい時間を持てたことを、嬉しく思いました。
    その日帰宅した娘が、
    「友達の中でも、一家総出で着せてもらったのは、私だけだった。羨ましがられたよ。お父さん、お母さん、お姉ちゃん、ありがとう」
    照れながらも、嬉しそうです。そして、思い出したように笑いだしました。娘は式典の会場で、見知らぬ婦人から呼びとめられたそうです。彼女は娘の両脇からそっと洗濯バサミを取り出しました。それは帯がずれないように押さえていて、取り忘れていたものでした。娘が朝の騒動を話すと、
    「一生懸命なご家族を持って、幸せなお嬢さんですね。帯はとてもきれいに結 べていますよ。おめでとうございます。」
    優しい笑顔で祝ってくださったのです。娘にとって成人の日は、家族の絆や人さまの思いやりにふれた良い思い出となりました。
  • 2011年7月8日

    2011年度 特選受賞作品 その1
    憧れの帯
    石井 ひろみ(愛媛県)
    私は十九歳の時、日本舞踊に出会った。職場の二階のホールで月に一度、教室が開かれることになり職場の先輩に誘われるままに習い始めた。だが先輩達は、すぐに全員辞めてしまった。私は日本舞踊の為に呉服屋で稽古用の着物と半幅帯を買い、そこで着付と帯結びを教えて貰ったのだ。辞めるわけにはいかなかった。
    少し厚手のしっかりとしたオレンジ色の半幅帯はキュッと心地良く締まり綺麗に羽を形付けることが出来た。その後、教室は近くのおばあさんの家に変わり私を含めて五人の生徒さんがいた。
    初舞台は地元の郷土芸能発表会だった。当日は総絞りの振袖に舞妓さんのような憧れの「だらりの帯」を結んで貰った。光沢のあるリバーシブルの袋帯でシルバー地と薄いピンク地でキラキラ輝いていた。成人式に買って貰ったものだ。早春の舞台にふさわしい「香に迷う」という曲だった。広い舞台の真ん中に立ち最初のポーズをして緞帳が上がるのを待つ。
    やがて私の緊張を和らげるかのように緞帳はゆっくりと上がった。静かな落ち着いた曲だった。いよいよ見せ場だ。舞台の下から数人のアマチュアカメラマンがレンズを向けている。一瞬のうちに右手で右の振りと帯の右に垂れている部分を一緒に持つ。左も同じようにして少し腰を落とし脇を締めてそれを左右で広げる。一、二、三のリズムで首を傾けながら視線を右、真ん中、左に移す。この時、私の中で膨らみかけた白い梅の花も優雅に舞っていた。初めて結んで貰った長く垂らした「だらりの帯」の感触も十分に楽しんだ。
    舞台を終えて楽屋に戻る迄、帯が揺れるのが嬉しかった。できることなら帰宅する迄、このままの格好でいたかったのだが次の出番に備えて、すぐに他の着物に着替える必要があり、とても残念に思った。
    今は私が着付の仕事に携わり特に成人式では帯の変わり結びをお客様に楽しんで貰っている。
  • 2011年7月8日

    2011年度 特選受賞作品 その2
    『叶えの帯』
    木下 さか江さん(神奈川県)
    「あんた、その帯、どうしたのさ」
    東京、日本橋の料亭で働く私は、すれ違いざま、二人連れの芸者に呼び止められた。
    世がバブル景気に沸く、今から二十年以上前の、ある夏も終わりの、宵だった。
    声の主は決して若くはないが、舞一筋。小柄でも、きりりと締めた夏帯の、涼しい立ち姿は、江戸前の意気と気迫を思わせた。
    「まちがいない。あの妓の帯だ」
    朱色地に、金銀の糸で、波と飛沫を大胆に刺し、お太鼓には、花と見立てた波頭を、三つ巴に軽快に踊らせる、絽の名古屋―。
    その私の帯を、老妓はかつての朋輩の帯だと言ってきかぬのだった。 老妓が、一日も忘れずにいる、妹のようなその芸妓(ひと)は、数十年前、花の盛りで関西へ行ったきり、以来、二人の間の音信は、全く途絶えてしまった、という。
    傍らの芸者は、常の威勢も構わず、友の消息を言い募る老妓に、咎めるような目を向け、
    「まさか…でなけりゃ、まるで…」
    と、言いかけ、ややして、ツルカメと唱えた。
    たちまち老妓は沈黙し、私も目を伏せた。
    思えば叶う。けれど、長い時をかけ、帯が主の身替わりとなって、旧知の人の前に現れるなど、考えられぬ話だった。
    《行く水に、移れば変わる…》常磐津の唄の如く、足早に時は去った。清洲橋近くの、あの料亭は跡形もない。帯の出所は、質屋だった。戦前から戦後しばらく、父方の親族が、兵庫県の芦屋で、商っていた店だった。知る限りの事実を、私はあの時、告げようとしたが、無性に帯がいじらしく思えて、とうとう言えずにしまった。
    箪笥の奥ですっかり出番を失った朱の帯は、穏やかに憩って見える。
    あらゆる物にも、生命が宿ると信じられたこの国には、不思議な巡り会いも多いらしい。
    帯との出会いを、ただ幸福と思うのみだ。
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